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グローバル化の荒波にもまれ培ったもの
リコーに入社したのは1984年です。当時は日本のものづくりが世界を席巻していた時代で、私も漠然とメーカーへの就職を考えていました。学生時代は野球一筋、チームの4番でキャプテンを務めましたから選択肢は色々あったと思いますが、コーチがたまたまリコーの役員だったため半ば強制的に(笑)。
最初の配属はここ厚木でした。社員寮に入って、仕事と野球に明け暮れていたのを思い出しますね。
次の年にプラザ合意があって急激に円高が進んだため、リコーでも海外での現地生産化を目指し始めました。入社4年目に、仏国で工場を立ち上げることになり派遣されたのが、私の長い海外生活の始まりです。何もわからない場所ですべて一からつくっていくのは、本当に大変でした。忙しさが勝って、カルチャーショックを感じる余裕もありませんでした。しかも当時の欧州では「アンチダンピング」といって、日本製品は現地の部品比率を40%以上にしないと重税がかかる仕組み。欧州委員会から連日厳しいQ&Aを受けました。私の企業人としての基礎は、このときに培われたと思っています。
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「リコーウェイ」は世界共通の精神
仏国で7年半、米国で8年半。途中で日本にも戻りましたが、2010年には英国で社長になり、いまも英仏で会長職を兼務しています。自分で望んだわけではないけれど、気づいたら“国際派”になっていました(笑)。
海外に出た当初は、日本のやり方をそのまま現地に移植する手法でした。インフラや文化、法律も違う中で困難もありましたが、リコーのものづくりはどの国でも充分に理解されたと思います。最近では、欧米から優れたプロダクションシステムが逆輸入され、日本で展開するようになっています。これは他社ではなかなかないこと。「リコーウェイ」という共通の思想が、深く浸透している証ではないでしょうか。 -
リコーインダストリーのミッション
私は、オープンでフランクなリコーの社風が大好きです。創業者が掲げた「三愛精神」、人を大切にする文化がグループ全体にしっかりと根づいている。2018年にこのリコーインダストリーの社長に就任しましたが、それは今も実感するところです。
当社は、いくつものグループ会社が統合して2013年にスタートした若い会社です。しかし、リコーグループの生産を担う、まさしくものづくりの「核」となる会社でもあります。そして、「マザー工場」として、国内外にある多くの工場の模範となり技術を展開するミッションを持っています。
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厳しい時代を生き残るために
最近、グループは「脱・自前」へと舵を切り始めました。未来を見据え、様々な組織や企業とアライアンスしながらものづくりを進める方針です。その中で、当社がこれから磨いていくべきものをしっかりと見極め、進化し続けなければなりません。
当社の新しいビジョンを、「お客様の役に立つ価値を提供できる『先端的生産会社』」と定めました。ものづくりで圧倒的な競争力を積み上げながら、新たな顧客価値も生み出していこうというものです。そのカギとなるのが「ソリューション」。ものづくりの拠点が、お客様の開発をサポートする拠点へと進化するのです。すでに英国では新しいビジネスモデルとして動き出していて、それをぜひ日本でも実現したいと思っています。
かつてのように、良いものをつくれば売れる環境ではありません。競争優位と顧客満足を並行して進めなければ生き残れない時代です。リコーの歴史は、イノベーションの歴史。我々の本当の強さは、このチャレンジ精神にあったのだといまあらためて思います。社員一人ひとりのアイデアや技術を結集し、挑戦し続ける集団。そんな私たちに期待してください。